昭和四十九年五月一日 月例祭における御教話
【 】の助かりということは、信心によらなければ、真実の助かりということはありえない。と私は思います。助かるということの内容は色々ございましょう。健康である、物に不自由しない、金に不自由しない、家庭が円満であるといった様な。成程それで良いのですけれども、果たして厳密に自分というものに取り組んだ時に、果たして自分が助かっておるかどうかと。
私は、金光教祖は人間の、言わば真の助かりを、そういう道を教えて下さったんだと思うんです。助からねばなりません。本気で助かろうという気になりませんと、信心も熱を帯びてまいりません。また、教えを頂こうという意欲もなくなります。本気で助かりたい。そこには本気で信心を求める。教えを頂く。そこに私は、私共のお道の信心者の信心姿勢がなからなければならんと思う。このことだけはおかげを頂くために、いっちょどうでんこうでん朝参りば初めようと。いったようなものでは、成程おかげは頂きましても、それで助かるということは言えません。
昨日の夜の御祈念の後に、末永先生が当番でしたから、その後にお話をさせてもらっとりました。そのお話の中にこういう話をしておりました。今日も幹三郎君と二人で事務所で、色々そのお話したんですけれども。この頃から、二十一日からずうっと親教会の二十八日の御大祭、二十九日の後片付けまで御用を頂き続けております。もう泊まり込みで御用を頂いております。それでいて幹三郎が言うことは、「こういうたくさんな先生方とお会いしたけれども、こういう先生方の所でおかげを頂いておる信者さん方は気の毒だなあと。もう僕はそのことだけがそう思うた」と言って、昨日、親話会でしたか、その時もそういうふうに話しておりましたから、恐らくそういうようなことも末永先生と二人で話し合ったのでございましょう。
例えば、久留米・福岡または甘木とか小倉とかと、もうそれこそ大徳を受けられた先生方が幾らもおられます。もう全国にはあっちこっちに、そういうたいへんな御比礼を受けられた先生方がおられるのにもかかわらずです。その後の信心、その後の信心というものがです。もうそれこそ落ちてしまっておるということ。教祖の神様は「子孫繁盛家繁盛」ということを言うておられが、一つも家繁盛子孫繁盛になっていないという事実をです。そりゃおかげを受けとる所もありますけれども、見渡して見てあそこもじゃないか、此処もじゃないかというようなことを、見聞きする時に、「僕はもう不思議でたまらん」とこういう。金光様の御信心を頂いておってもです。初代の時にはあのように飛ぶ鳥を落とすような御比礼であったのが、二代になり三代になって段々寂れてくるということはどういう訳だろう。ということを二人で話し合ったというのです。そして結論として、感じたことを話したことなんです。
言わば、おかげを受けたということは、祈念力を以て助かった。拝んで助かったと。もう先生方御自身、自分自身が助かっておられなかったのではなかろうか、というところまでいった。一生懸命先生のお取次によってどんどん人が助かる。助かるからまた、次から次ととたくさんの信者が増える。というのは取次いでおられた先生がです。祈念力は素晴らしかった。言うなら信念は昔の先生方は特に強かった。けれども自分自身が助かっておられなかったのではないかと。
そこでどうでも、合楽で言われるところの助かりというものがです。最近は御大祭を境に、大変いろんな奇跡的なおかげを頂いた方達が次々と現れました。言うならば私の念力、祈念力によってみんなが助かった。だから、それも有難いことだけれどもです。念力がいかに強かってもです。例えば、あのカナダの念力男ではないですけれども、ならそれでその方自身が助かるということはない、人が助かるということはないと。念力によってスプーンでも曲がるような、言うなら、そういう信心もあるけれども、そういう信心の傾向が強かったんではないかという意味のことを話しております。だから問題は自分自身が助からなければならないのだということ。
だから本気で自分自身が助かりたいのにもかかわらずです。ちょっとしたことがイライラする。モヤモヤする。情けなかったら、腹が立ったりするというところにです。自分の助かっていない。言うならば、実態というものを見極めた時にです。本気で教えを頂かなければならない。本気で教えを行じなければならない。そして一分ずつでも、一厘ずつでも自分の助かりの世界を広げていかなければならない。ということに結論したというのです。
今朝私は、ここの何時も、ここから、この廊下から天地を拝ませてもらいます。その時に、それこそ自分の耳を疑うようなはっきりしたお声で頂いた。今日は朝休んでおる時もそうでしたが、あの、二度そういうような。こういうことが例えば本当、こういうようなこげな声が他の者に聞こえんだろうかというような声でした。そういう世界がやっぱりあるんです。拝ましてもらいよりましたら、「天の心が神心」と頂きました。「天の心が神心」。大地の心、天の心はでしたね、「天の心は神心」という。なら「大地の心が氏子の心」と頂いた。頂いたけれど、ちょっととっさに私判らなかった。 それから、なお御祈念させてもらいよりましたら、私はここの大きな石が、天地書附が配してあります。真ん中に天地岩、天地の親神様、教祖生神金光大神様。そして左の端に私自身を拝ましてもらう石がしてあります。そこをいつも拝むんです私。そしたらその石の横にある、白壁の所からこう出ておる黒い柱を頂くんです。そしたら柱に注連縄がかかっておるところを頂いた。真っ黒い、云うなら苦労の柱というのですが、ここでは私のことだと思ったんです。自分で自分の心を拝むということ。拝めれるということ。それはどういうようなことであろうか。「此方ばかりではない、皆もこのようなおかげが受けられる」とおっしゃるけれども、生神様にゃならんでもよいとこう言うけれども、そんなね、遠いところの生神様じゃない。
私は今日の御理解を今朝頂いて、生神様を身近に感じるなと思わしてもらう。最近は生神ということに対する解釈が、この頃なんか連日続いてあった。今日のその生神ということに対する解釈を頂きよったら、いよいよ身近なものに私自身感じさせて頂いた。どういう信心をさして頂いたら自分の心が助かるか。どういうような信心さして頂いたら自分の心が拝めるか。
例えば腹の立つ問題がある。まあ、今朝は私はそれを商売敵という意味で聞いてもらった。もうそれこそ憎さも憎い商売敵である。うちのお得意さんを取った。うちの悪口を言うた。もうこちらも言うて返さにゃおられない。さあ、もう向こうが繁盛しよるとを見ると、涙の出るごと腹の立つ。これが言うならば普通だろうとこう思うです。けれども信心をさせて頂いて、段々本当のことが判って来るとです。もう商売敵と思うておったその人が拝めれるようになる。むしろ相手の繁盛が祈れれるようになる。自分の心が助かってる。だからその助かっとる心に自分の上に、否が上にも、まだおかげを頂くということになるのですけれども。
難しいです。難しいけれども、そういう稽古を小さい事柄の中から、ひとつ段々大きいものにして行かなければいけないと。なら家庭の中で、言うなら腹の立つ問題があったとするか。その腹の立つ問題が腹の立つと言うことではなくて、そのことは却って神様に御礼を申し上げねばならないことだと、判ったり、気付かせて頂いたりするところからです。そういう例えば心を、「和賀心」と言うのであり、そういう心を「生神」と言うのだと私は思う。ね、身近になったでしょ。
信心さして頂いて、ほんに去年の私ならばそれはそうに腹の立ったことじゃろうけれども、今年はそれが腹が立たなくなった。また一年しよったら腹が立たんどころじゃない、そのことに御礼が言えれるようになったというのですから。稽古さえ、だから本気で助かるということに精進するなら、これは誰でもがそういう助かりの道というものを踏んで行くことが出来るのだ。だから、本気で私が助かりたいという願いを持たなければいけませんのです。しかもそれが金光大神が言うて下さるように、「此方がおかげの受け始めであって、みんなもそのようなおかげが受けられるんだ」と約束して下さった生神の境地である。それを限りなく繰り返して行くというのです。
私共が助かるということは、腹が立っとる時に助かることじゃない。イライラ、モヤモヤしとる時は助かっとらんとです。悲しかったり、ね、相手が憎かったり、羨ましかったりする心が起こった時には、あなたは助かっていない時なんです。ですからね、「こんくらいのことは、人間じゃけん当たり前」と言うたら、金光様の御信心はないのです。そういう信心を、そういう心を取り除こうと云うて、取り除けるのではない。そこから本気で助かりたい、自分にこのような穢いものがあるという気付かして頂いてです。本気で言わば教えを頂くということ。そして教えを行じて行くうちに、何時の間にか腹が立たんようになっておる。いや、そのことに対して御礼の申し上げれるような心が出来ておる。そこに和賀心がある。和賀心ということも、だからさほど難しいことじゃない。教えを頂いて教えを行じて行く。本気で私自身が助かりたいという念願に、例えば燃えて来るならです。成程誰でも生神になれる道だということが判ります。惜しい、欲しいと言うとる時は助かっとる時じゃないです。そういう心が段々なくなってくる。
一つの例えば問題であっても、なら腹が立つというのが、翌年は腹が立たんごとなった。その翌年にはおかげでそのことに御礼が言えれるようになったというよにです。信心が進んで行くということ。これは本気で助かる以外、例えば昨日、末永先生が云っておるのは、「もう本気でその事に取り組ませてもろうて助からなければならない」と言うのです。そういう助かりに現れてくるところのおかげなんです。いわゆるおかげは和賀心にある。祈念力で助かる、拝んだから助かる、と言うのであってはです。二代三代までは続かん。私自身の心が助かるということ。
今日私は、天の心が、「天の心が神心」、「天の心は神心」。「大地の心が氏子の心」ということは、これはもう私共も神様も、切に願って願って止まないものでなからなければならない。神様はそれを願って願っておられるのですから、私共もそうでなからなければならないと言うこと。大地の心が氏子の心でなからなければならない。そこに天と地とが一緒に、それこそ鶴亀が舞い遊ぶようなおかげ。天と地が一つになる。神も助かり氏子も立ち行くという道。ここに初めて神の願いが成就したということになる。私共が大地の心を自分の心に頂いた時なのです。神様の願いが成就した。同時に私共の願いが成就した時。言うなら、神の願いが地上に成ったときであり、成就した時であるというのです。
金光大神はそういう尊い道を説いておって下さるのですけれども、そういう助かりから離れておった。言うならばおかげを受けておるということでは、なるほど二代に続かないはずだ、三代に続かないはずだということになってくるのです。いわゆる家繁盛、子孫繁盛ということになって来ないのだと。「大地の心が氏子の心」。私共がね、だから世界中の氏子にです。「大地の様な心を心の中に頂いてくれよ」と言うのが神の悲願だと私は思うです。と言うてそんなら、世界中の氏子という訳には参りませんのですから。お道の信心をさせて頂く者が、いや合楽に御神縁を頂いておる人達だけでもせめてこの様な御理解を頂いておるのですから。そこから奮い立たせて頂いて、本気で私が助かろうということにならなきゃいけないです。
なら本気で助かると言うことは、大地の心を心として、いわゆる「天地日月の心になること肝要」とは、そういうことだと言うふうに今日は頂いた。稽古しておりましても、なかなか自分の心にはばからんことがあります。それでも最近では黙って治め、黙って治めと教えられるから、それをぐうーっとこらえて辛抱する。その後には辛抱しておって良かったと言うおかげが頂かれる。そういう精進から。そのこと自体が、言わばもう即有難く受けられるという稽古。大地の心というのはもうどう言う、例えば穢いものであろうが、黙って受けるとういうこと、だけではなくて、それを自分の根肥やしともすること。それだけではない、それをここに植物があるならば、もしここに木ががあるならば、その木へ養分をさっさと送ってあげるということ。これが「和賀心」。これが「生神の心」なんです。
ですから、教えを本気で行じさせて頂いておるところからです。もう神武期せずしてしてそういう心の状態、黙って受けるだけではなくて、それを相手に却って滋養を送ってやるような心の状態というものが開けて来るのです。しかもこれは限りがないのです。そこに信心の喜びと楽しみ、言うなら信心の歓喜がある訳です。祈念力もまた大事。けれども、祈念力で助かったというのは、只スプーンが曲がったというだけのこと。
もう何ヵ月か前だったでしょうか、日田の綾部さんのお導きで参られた、まあずいぶんやり手の方らしいんです。それはそのお願いに参ったのではない。まあ合楽の先生はどげな男かいっぺん見に行こう。いっちょう、いっぺん話してみろうというぐらいのことじゃなかったんでしょうか。何ヵ月か前に見えた時も、だから話を聞きに来るというよりも、むしろ私の方が拝聴するというふうだった(笑)。自分の生き方というものがです、間違っていない、こんなに立派な生き方をしたんだ。ということを、いわゆる道徳的な生き方をなさった話をずうーっとなさいまして。もう私は親というものに対してはこんなに忠実で、こんなに孝行で、まだ、この歳になりますけれども親に言うなら心配をかけたこともない、親に口答えをしたこともない、素晴らしい親孝行の方だと。と私も思いました。
そんならあなたがそんなに親孝行のお方ならば、あなた方のお母さんが、それこそ何とも知れん大変な大病で久留米の病院に入院しておられるそうなから、綾部さんもそばで言われました。「そのことを親先生にお願いしなさい」と、こう言われた。「そげなことは神様にお願いせんでん」というようなことじゃったけれども。「それは本当にお願いなさらにゃいけませんね、ならお願いをさせてもらいましょう」そしたら自分も「そんならどうぞお願いします」と言うて、あんまり期待をしないような(笑)、当てにせんで待っときますというような態度であった。
ところが、その明くる日から良くならっしゃった。その病気が。そして一ヶ月も二ヶ月もしてからでしょうか、綾部さんが聞かれた時には、ほんなあの明くる日からそげなことでおかげ頂いとる。ところが、それと同時に肩が痛うして、肩が痛うして眠られんというような毎日。そのために難儀をしておると言うことであった。それで綾部さん言われることに、そういう例えば掌を返すようなおかげを頂くということは、これは私の念力と言うてもいいでしょう。スプーンが曲がったと同じことです。けれども、ああいうものを見たっちゃですね。そういうことがあっても信心がない者は、それを有り難いともなんとも言わんのです。
それから何ヵ月後にまた見えた時に、今度はその肩の痛いと言われる。そん時には私、一杯差し上げましたから、酔うた機嫌だったでしょうけれども。もうそれこそ私の手を握らんばかりにです。一人置いてここにおりなさったけれども、あれがそばにおったなら「先生お願いします」と言わしゃったじゃろうと思うんです。もう何回となしに「母のことを願います。母のことを願います」と云われたから、私が太鼓判を押すようにして言うた。「大丈夫、私がお願いしましたよ」と。
それから翌々日綾部さんところに電話がかかってきた。母のところにさっそく電話をかけた。金光様にお願いしとるとなんてんちゅうと、ちょっと神経をおこしてから弱うなったちゅうといかんけんけんで、「どげなふうですか」と言うて電話をかけた。そしたら、もうあんた昨日はぜんぜん痛まずに久しぶりにぐっすり眠られた」とこう言う。だから、これはちっとは不思議と思いなさったでしょう。綾部さんのところまで電話がかかって来た。「そりゃばってんあんた、もう明くる日から痛むならどうすんの」いうなこっちゃった。そりゃ痛みもなさいますでしょうね。
私が、とにかく私が願うところにもう、絶対の言うならば変わったことが起きてくる。例えば病気が、これは一切の難儀においてそうです。これはおかげじゃろうと思われるようなことが必ずあるです。これは私の自分の念力を信じておるから言えるのです。ね、全快するというのじゃないです。そういう、なら尊い、私に言わせれば、そういう例えば力を持っござる神様なら、こりゃこちらが本気で信心すりゃ、おかげが受けられるぞと本気で信心させて頂くところから、言うなら全快のおかげと言うか、または、問題の解決と言うかそういうおかげになって行くのです。
だから、そういう意味で助かるということはです。まさかの時には助からなきゃなりませんけれども、それでは言うならば二代に続く、三代に続くということではない。お願いをする人自身の心の中に、私の助かりを求めての信心でなからなければならないというのです。これはね、私の言うことを勘ぐって頂いたり、疑うて聞いたり、それはもう笑い話で言いよりなさるけんで、笑い話で聞いてしまうのではなくて、それを素直に真剣に頂くということ。
二三日前でした。朝のお食事の時に、私と高橋さんと繁雄さんと家内と四人で食事を頂きます時に、今朝方、面白い夢ば頂いたけれども、どういうことかどうしてもわからん。と言うのはね、私をリヤカーに乗せて、しげおさんと高橋さんが引いたり押したりして行ってもらいよる。ところが行く手に、酔っぱらいがおって酔狂まくったとが出てきてからそれを邪魔をする。だから私は、二人は酔狂ましょうとったとがば家くれの方に行っておんなさる。私はリヤカーを反対に向けて、向けたところがリヤカーが一人ですっすとその自動車のように速くはないけれども、気持ちがいいように一人で動いて行くというお夢を頂いたが、どういうことかいっちょう分からん。と言うて話しておりました。
だから今朝も言うた。本当は私のお話がね、例えばなら今日繁雄さんがそういうお夢を頂いておる。夕べの神話会におかげを頂くと言うて昨日の朝帰っておられた。それで、みんなでここで繁雄さんの席を空けて待っておった。ところがとうとう見えなかった。ところが今日話を聞いて見ると、今家内が、奥さんが東京へ行っております。それで孫達がその、お祖父ちゃんところへ来たり、こんなこと言うたり泣いたりしよったもんだから、まあ、孫に引かれて夕べはお参り出来なかったとこう言うのである。そしたらすぐお夢を頂いたと云うのが、その親先生が私の家に見えておる。そして「リヤカーに乗せろ」とこう云われる。けれどもリヤカーなんかに乗せちゃいかんと自分で思いよるお夢であったというのです。
これは親先生の人間心、親先生はあんなにも、乗るなら徳の車にと仰るのに、リヤカーや人間が引っ張って行くようなものに乗せてはならんとこう思うたところで目が覚めた。というお届けをされましてから、二三日前の御理解を私頂いた。思い出したんです。成程私が乗るところ、それはリヤカーであってももうすでに徳の車だと。独りでに動く程しのものだと。例えば冗談のようにして言うておっても笑い話で言うておっても。それはもうそのまま親先生じゃない、神様の言うなら笑い話である。神様の言うなら冗談であると言う事に頂かせて頂かなければならんという。今朝からその事を改めて頂いた。
だから、このへんのところをです。私は本当に勘繰りをせずにね、皆さんが素直にこう頂かせて頂かにゃいけん。それが段々信心が高尚になって参りますと。ああ、あれは程度の低い信者に言うごたると。ここに今日は御取次どん頂かんでんよかというぐらいに。またはもう裏も表も知っておるから、そういうその勘繰ることになって来る。そこからおかげが受けられんようになって来る。
今朝から、これも私は御声で頂いたんですけれども。夕べ昨日の御理解がね、「子供でも言うことを聞かん子はしかたがあるまいが」とこうおっしゃる。だからこれを一つまあ皆さん信者でも言うことを聞かん信者は、なら取り次ぎの先生でも、いくらお徳の高い先生でも言うならしかたがあるまいがと言うこと。そういうことですね。私だからそういう意味でです。それこそ、あーあ仕方のないことだと思うて休もうと思ったんです。そしたら神様からね、御声で『チャップリンの街の灯』と頂きました。昔ね、チャップリン主演の街の灯と云う、もう永遠の名画と云われるくらいに素晴らしい映画でした。
目の見えない娘が花売りをしておる。その花売りに同情する。そして、その色々貢いでやったり、またはお花を買ってやったりする。だから娘もそのチャップリンが来るのを待つようになる。ある時にたまたま、「あんたの目は手術すりゃ助かるんだ」と云われる。ところがお金がない。そこでチャップリンがその、あらゆるその心配をしてその手術のお金を出してやる。そこで、おかげでその娘さんは目が明くというのです。そこで目が見えるようになって、毎日花を買いに来て下さったり、同情してくれるその人は確かにです。しかも手術に大金を出してくれる程しの人であるから、ずいぶん大家の御坊ちゃんか何かに違いはないと娘は心に描いておるのです。だからその願いをね、娘に持たせ続けたい。自分のようなこんなみすぼらしい者が、自分が哀れだと言ったら、娘がどんなにがっかりするかわからんというまあ筋の映画であります。
私があーあ、それこそ「親でも仕方があるまいが」。仕方がないというようなな心は、丁度チャップリンのそれのようなものだ。これを誰かが見たらいじらしかったり、または、かわいらしく見えるかも知れない。神様の目から御覧になればいじらしいと思われるかも知れない。だから、それでおかげは受けられるけれども、仕方がないではいけない。そのことがおかげと頂かせてもらえれる信心。 今日先ほど光昭が、、前講をさせて頂いておりました。成程学院から帰って、そうですね、こんな朝の御祈念に何回か出て来たでしょうか。朝も昼も晩も出て来ん。何時も自分の部屋にまあ、ひっくり返って寝ておるかどうかでしょう。晩は遅うまで明々と電気がついておる。家内が朝起きる時には起こすけれども、その起きて来ないらしい。けれども、今日彼の話を聞かせて頂いて居って、ああ、おかげだなと私は思うた。それが今思うた。こげなことじゃいかん。それを見たそこを神様の御都合じゃがと、おかげじゃがと、おかげを下さろうとする御都合じゃと、私が思えるようにならなければいけない。
「今朝も出て来とらんじゃったじゃないか、お前が起こさんじゃったろう」と、例えば家内にまだ言うような時には、こんなもんじゃないのです。「神様の御都合に間違いはないぞ、神様の御都合の中であっとっておることだから」と言えれる私になった時には、私は生神であり、その心が和賀心なのだと。ところが私は、学院から帰って来てから何日になりましたですか。十四五日になりましたか。十四五日の間はです。ただ彼の姿を見て、「親の言うことを聞かん氏子は仕方があるまい」と言うておった。だから仕方がないぞ。これは例えば食うか食われんようにならないようになるならおかげ頂いとる。けれども仕方がないという間は生神でもなからなければ、和賀心でもないということ。それは言いよらんでも、そら【 】チャップリンの街の灯がそうです。それこそ花にも実にもならないのだ。
けれども、今晩、私は彼の話を聞かせて頂きながらです。これがそれこそ自分でも苦しんどる。それは一生懸命信心が出来ておる時にも苦しんでおる。そして「これが大坪光昭の正体だと見極めた」というようなことを言うております。私それを聞きよって【 】「これが大坪光昭の正体だ」と。それは私に言わせるならば、「大坪家のこれがめぐりの正体だ」と。「もうこのままとても生きて行けないものまでもすら感ずる」と言うております。「このままで生きて行ったら先が恐い」と言うておる。
そこまで自分というものをぎりぎりわかったということは、なんという素晴らしいことであろうと。ここで本気で立ち上がった時に、自分のいよいよぎりぎりの見苦しい、いよいよつまらない、だらしのない自分というものを発見した。そこからお取次を頂かなければおられない、縋らなければおられないという。ここから本気で私が助からなければというところからです。教えを本気で頂くようになるです。その教えを行じるところから去年よりも次の年、次の年よりも次の年と。こういう私のようなだらしのない男でも神様はこのように御引立て下さって、有難い、勿体ないということになるのじゃないでしょうか。
私は本気で、私が助かりたいという願いを立てなければ駄目だと。御祈念の取組みもいいです。【 】くこともいいです。神様を云うなら【 】ことですから尊いことですけれども、それでは本当は長続きはしない。【 】が最後に言ってます。言うならば「御祈念力と和賀心になる、自分自身が助かると言うことは別物だ」と。「御祈念力と自分自身が助かるということは別物だ」と。合楽ではその自分自身が助かるということを説いて、説いて、説き明かして下さる。それは「成行きを大事にする。御事柄として受けて行かなければならん」と、親先生は説いておられるのだというふうに、昨夜話した。私が助かる、それからです。
もう一つついてくるのは念力であり、同時に神様を信じる力です。先ずは自分自身が助かるところから、先ず願いを立てなければならない。そして一年一年自分の信心が、成程有難うなって来るという事は、一年一年私の心の中に生神が誕生する。それが育って行っておる姿が、「一年一年有難うなって行く」ということなんです。「おかげは和賀心にあり」。私が一人馬鹿になって【 】というのはチャップリンのそれです。ですから、私が一人辛抱したから言うのじゃない、神様がこのようにして、おかげを下さるのだと御礼を言えれる心が和賀心だ。それが生神なんです。そういう心を私共がいよいよ育てさせて頂く稽古。
そこから私は本気で教えを頂こう。言うなら、親先生が笑い話で仰ったことでも、心にかかるぐらいな信心にならせて頂だかなきゃいけません。それこそ切々と、「こうしてああして助かって下さいよ」と言うても。しかも、それは難しいとも思われないことでも。「親先生はああ言いなさるばってん」と言うようなことでは、何時まで経っても、真実、自分自身の心が助かるということにはなって来ないと思うのです。私は本気で私が助かりたいと言う、私は念願を立てなければならない。思いを起こさなければならんと思います。
どうぞ。